残りの日数を数えるのは、陰気なことか
場合による。そして人によっては、それは本当に見ないほうがよいものだ。視野をくれるほうと、恐れを生むほうを正直に切り分ける。自分がどちらを経験しているかの見分け方と、やめどきについて。
正直に言えば、場合による。そしてそれは、その物体の設計よりもあなたのほうに依る。それでは答えにならないので、このページの残りは「何に依るのか」を言おうとする試みである。
以下は苦しさについての助言ではない。この種の物体がどう振る舞うかの記述で、こういうものを作っている側が書いている。そして「閉じて、二度と開かないのが正しい」場合も含んでいる。
同じ絵から生まれる二つの体験
同じ人生のマス目を二人に見せると、決まって二通りの反応が返る。
一つめは比率としての反応だ。埋まっている部分を見て、何かの目盛りが直り、素面の明晰さのようなものを感じる。快いとは言えないが、方角が分かる感じだ。効果は穏やかで、数日で薄れる。それは正常で、失敗ではない。
二つめは予期としての反応だ。空いている部分を見て、比率ではなく、近づいてくる縁が見える。この感覚は数日では薄れない。開き直すたびに再発し、積み重なる。
この差は、その人の心の強さとはあまり関係がない。もっと具体的な何かと強く連動している。開く前から「時間が足りない」と考えていたかどうかだ。
役に立つ半分は、背後の半分だ
ここに、この種の物体の使い方をいちばん変える観察がある。そして直感とは逆だ。
人生のマス目には埋まった半分と空いた半分があり、感情の中身はほぼ空いたほうにある。しかし情報の中身はほぼ埋まったほうにある。確かめられるからだ。そのマスに何があったかを、あなたは知っている。遅かったと感じていた十年と速かったと感じていた十年を突き合わせて、逆に覚えていたと気づくこともできる。
空いた半分は、あなたが知らなかったことを何も教えない。あなた自身が入力した数の上に建っているからだ。自分の当て推量から学べる人はいない。その力は、文ではなく面積として描かれていることから来る。その力は本物だが、情報ではない。
ここから実際的な帰結が出る。この種のマス目を使うなら、時間は過去の側で使うこと。年を開き、月を開き、日を読む。その視点は注意に報いる。人生全体の視点は年に二度ほどきちんと見れば十分で、あとは実際に読んでいる部分に尺度を与えるためのものだ。
視野と恐れを分けるもの
人がこういうものの使い心地をどう語るかを見ていると、二つの体験を分ける要因はかなり一貫している。
- そのなかで何かできるかどうか。眺めるだけの絵は感情をくれて出口をくれない。書き込めるマス目——過ぎた日に一行、まだの日に予定——は、その感情を行動に変える。居心地の悪い感情は、たいていそこへ行く必要がある。
- 向こうから来るのか、こちらから行くのか。頼んでもいないのにロック画面に現れるものは、別の物体だ。通知するカウントダウンは、その瞬間には同意していないカウントダウンである。
- 点数をつけてくるか。落ち込んだ期間が失敗として現れるなら——途切れた連続記録、赤い月、届かなかった目標——その物体は、する資格のない判定を始めている。
- 消せるかどうか。ひとつの操作で全部消えると分かっていることは、持ち続ける感じを変える。出口があることが部屋の感じを変えるのと同じだ。
Life Progress は四つとも役に立つ側に落ちるように作ってある。マス目はどの階層でも書き込め、通知の機能そのものがないので何も届かず、設定のひとつの項目でこの端末上のすべての印・自作の状態・マイルストーンが消える。それでも全員に合うわけではないし、設計で直せることではない。
メメント・モリについて
ここには長い伝統があり、それが何を主張していたのかは正確に書く価値がある。古典と修道院の伝統における「死を視野に置く」実践は、気分を良くする方法として説かれたことは一度もない。それは特定の誤り——決定を無限に先送りできるかのように振る舞うこと——への矯正であり、それが着地する構造のなかで実践されていた。
その構造から実践を引き剥がすと、たいてい起きるのは、リマインダーだけが残って応答が消えることだ。手元には直視させる部分だけが残り、そこに結び付く実践がない。それは伝統ではなく、その半分である。
欠けた半分に対応する現代のものは、地味で小さい。ある日に何か書くこと。ずっとやると言っている事に実際の日付を入れること。この伝統の主眼は終わりを見つめることではなく、その後の火曜日に何をしたかだった。
自分には合っていないと分かる兆候
かなり当てになり、解釈を要しない兆候をいくつか。
- 一日に何度も開き、そのたびに感覚が鈍るのではなく悪くなる。
- 見ていないときにも、それについて頭の中で計算している。
- 睡眠に影響が出はじめている。寝つけないか、起きてまず手に取るか。
- 見たあとに思うのが「今週なにをするか」ではなく「あとどれだけか」になっている。
二つ以上当てはまるなら、正しい行動は消すことだ。しかもそれを気概の不足として扱わないこと。見つけたときより悪い状態にして返す道具は、我慢して使い続けるべきものではない。
これがアプリの話ではなくなるとき
ある一線を越えると、ここまでの話は設計の問題ではなくなる。時間が尽きることや、死ぬことについての考えが持続し、手放しにくいなら——睡眠や食欲や働く力を妨げているなら、あるいは「ここにいたくない」という考えに移っているなら——それは医師の領域であり、行くことは大げさではない。
この主題のどんなアプリも、その会話の代わりにはならない。このアプリもそうは言わない。比率を見せ、メモを一件抱える。するのはそれだけだ。
よくある質問
人生のカウントダウンを使うのは不健康ですか?
人によっては役に立ちません。それははぐらかしではなく本当の答えです。当てになる兆候は、繰り返し見るうちに感覚が鈍るのではなく悪くなること、見ていないときにも付きまとうこと、睡眠に影響が出ることです。どれか当てはまるなら、消すのが正しい反応で、弱さではありません。
なぜ数字よりマス目のほうがこたえるのですか?
面積は一度に知覚され、文はそうならないからです。「あなたは 42% 進んでいます」と、42% が埋まったマス目は同じ情報ですが、マス目はそれを単一の視覚的事実として渡します。それが効く理由であり、同じ意味の文より重い理由でもあります。
付き合いやすい版とそうでない版は何が違うのですか?
主に四つです。眺めるだけでなく書き込めること、通知してこないこと、点数をつけてこないこと、そして一手で全部消せること。こちらから行けて、いつでも離れられるものは、ロック画面に現れるものとはまったく違う振る舞いをします。
人生全体の画面は頻繁に見るべきですか?
おそらく見るべきではありません。人生全体の画面はたまにきちんと見て尺度をもらえば十分で、日常的に注意を向ける価値があるのは今年です。月へ、日へと開いていける。そこが、覚えていることと書いたことを突き合わせられる場所です。
気が変わったら全部消せますか?
Life Progress では消せます。設定のひとつの項目が、確認のあとで、端末上のすべての印・自作の状態・マイルストーンを消します。サーバーに控えはありません。サーバーがないからです。どこかに残ることもありません。
いる場所を見て、通りすがりに印を残す
Life Progress は、今日・今週・今年・そして人生のなかでいまどこにいるかを見せます。今日の残りのうち本当に自分のものである時間、今年の残り日数と残りの週末、一マス一年で一生ぶんのマス目。ワンタップで印をつければ、その印がマス目に色をつけます。無料、アカウント不要、サーバーなし、通知なし、権限の要求もゼロ。